モウコハン。

   

くも膜下出血 - 突然の出来事

←PREVIOUS

月日は流れ、15年後。雨の降る寒い日だった。私は家で子供たちとのんびり過ごしていた。このとき長男4歳半、次男0歳5ヶ月。

正午前、家に1本の電話が。

「頭が痛い」

日頃はほとんど携帯しか使っていない私。家の電話は常に留守電にしていて、かかってきても出ない。誰かがメッセージを残したので聞いてみることに。

「○○です。お母さんが大変だぞ。電話ください!番号は……」

それは母の実兄、つまり私の伯父だった。

伯父さんから私に電話なんて初めてだ。よほどの緊急事態に違いない!と直感し、すぐに伯父さんの携帯に電話した。

その朝、母から伯父さんに電話があり、母は

「頭が痛い」
「何かあったら、後を宜しくお願いします」

と言っていたそうだ。

伯父「病院へ行ったのか?」
母「行ってない」
伯父「娘に知らせたのか?」
母「迷惑かけるから知らせてない」

というような会話を交わしたという。

”頭が痛い”

この言葉を聞いた瞬間、私は15年前の記憶が一気に蘇ってきて、『くも膜下出血』の文字が頭に浮かんだ。

とりあえず私は母に電話をしてみた。すると母が出た。

私「どうしたの!?伯父さんから電話あった。頭痛いの?病院は?」

母は「うん」「うーん」と返事はしているものの、マトモに話せないような状態。

私「誰か近所の人に電話して病院に連れていってもらいなよ!」
母「うん……わかった」

でも今の母にそんなことができるのかどうか…。私は一度電話を切り、実家の近所のMさん宅に電話した。Mさんは私の同級生のお母さんで、近所ということもあり一人暮らしの母を心配してよく様子を見に行ってくれている人だ。

Mさんのご主人が電話に出たがMさんは留守だというので、ご主人に母の様子を見に行ってもらえるように頼んだ。そしてその電話を切ってすぐ夫に連絡。「車、用意して!」
当時、我が家のマイカーは夫が通勤で使っていた。私が車を使うためには、ここから20キロ離れた会社まで取りに行く必要があった。

慌てて着替え、自分と子供たちの着替えやミルク・オムツなどをまとめながら、Mさんからの連絡を待った。なかなか連絡がないので再び私は母の携帯に電話。するとまた母が出て、Mさんが救急車を呼んでくれたとのこと。

その後、諸々の事情により車を用意するだけで2時間もかかってしまう。”一刻も早く行かなきゃ!!”その気持ちとは裏腹に、時間だけがどんどん過ぎていく。ようやく車に荷物を積み込んで子供たちを乗せて出発。銀行へ寄ってお金を用意したり給油しているうちにまた時間がどんどん過ぎて…
伯父さんから電話があってから既に3時間も経ってしまっていた。



手術の同意

ようやく家を出発して間もなく、J大学病院の医師から連絡が来た。Mさん夫妻が私の携帯番号を医師に伝えてくれたのだろう。私にとってはJ大学病院に運ばれたというだけでホッと一安心だ。

だって 実家は電車も通っていない片田舎。近くにある町立病院は「助かるものも助からない」と言われるほどのヤブ医者。だからその地域では、重病患者はJ大学病院に搬送するのが常識になっている。 でも実際、町立病院からJ大学病院までは遠い。ちょっとの大雨ですぐに通行止めされてしまうような峠越えの道のりだ。普通車で抜け道を駆使して飛ばして行っても1時間半はかかる。救急車なら2時間半はかかっただろう。

医師の説明によると…

母は明らかに『くも膜下出血』の症状。最初は町立病院へ搬送されたものの、既に脳動脈瘤が破裂しているためそこでは手に負えず、そのまま救急車でJ大学病院へ移送された。
検査の結果、やはり脳動脈瘤が破裂してしまっている。しかも2箇所だ。
搬送されたとき、本人は意識があって会話もしていたが、今は脳を刺激しないように薬で眠らせている。
手術をするため家族の同意書が必要だが、私が到着するまで待っていられないので、電話での同意ということで今すぐに緊急手術を始めたい。

ということだった。

やっぱりくも膜下出血か…。しかも数時間前には破裂していたなんて…
もしかしたら、私が行く前に母は死んでしまうかもしれないな…
そんなことを思いながら、私はとにかく医師に全てお願いして 車を走らせた。

ようやく高速の入り口に辿り着いたときには、もう午後3時半を回っていた。どんどん雨脚が強まってきて、前が見えないほどの土砂降りになった。しかも日が暮れてきてスリル満点のドライブ。オマケに当時の私は免許を取ってまだ2年だった。後から思えば相当怖い状況だったけど、そのときの私には恐怖心はまったく無かった。そんなことを思っている余裕もなかったし、怖くたって自分で何とかしなきゃいけない!という気合いだけで走っていた。

人間、やってできない事はない。物理的に不可能はこと以外は何だってできる!やるしかない!
私は追い込まれると、いつも自分にこう言い聞かせて踏ん張る。皮肉にも、幼い頃からのサバイバル的生活の経験が、こんなところで役に立つ。

当時の私はまだ地理に疎かったうえにナビも無く、今と比べたらずいぶん不利な状況だった。

私は自分に言い聞かせた。
「頑張れ、私! 大丈夫!大丈夫だから!!」
それを助手席で聞いていた長男も「ママ、頑張れ~!」
ありがとう、ママ頑張るよ!

ようやく病院へ

途中、何度かMさんから連絡あり。その都度 状況を知らせてくれたので、とても有難かった。伯父さんにも度々状況報告をした。

寒さでフロントガラスが曇りエアコンつけてもナカナカ解消されずに悪戦苦闘したり、あまりにも強い雨で前が見えなかったり、水溜りでタイヤが浮いたり…
あれほどの土砂降りも本当に珍しい。それもきっと私に与えられた試練だったのだろう。

まだ4歳の長男はいつものように、静かにじっと助手席でおとなしくしてくれている。文句一つ言わず、窓の外の景色を眺めている。後部座席の次男はチャイルドシートでずっと眠っていた。日頃からよく寝る子でお腹が空くと急に起きて泣くのに、このときは一度も起きずにすっと眠ってくれていた。もはや存在感がないくらい静かだった。お陰で、私はこの長い道のりを完全にノンストップで行くことができた。

家を出発してから約4時間。高速の出口まであと2キロの看板を見つけたときは、思わず「うわ~~~~~っ!!」と叫んだ。安堵感で一気に力が抜けていく気がした。

ようやく高速を降りたものの、そこから病院までの道がわからない。当時乗っていた車にはナビがついていなかったので、コンビニで地図を買い、ついでに店員さんに道を聞いたら、観光客向けの簡単な手書き地図をくれた。道を知らないうえに夜で土砂降り。イヤガラセかとも思える状況。でも、とにかく一刻も早く行かなければ!

とりあえず貰った地図と勘を頼りに走った。
そして 迷った!
でも幸い、所々の地名を知っていて方角の感覚もあるので、来ちゃイケナイところに来てしまったことに気づくのは早かった。点と点は知っていても、それが線で繋がらない。田舎には目印が少ない。しかも夜で土砂降りで、看板も標識もよく見えない。
こんなときは地図で探すより地元民に聞いたほうが早い!とりあえず車を停めて近くのお店で道を教えてもらい、ようやく病院に到着した。



母の容態

救急車を呼んでくれたMさん夫妻が私の到着をずっと待ってくれていた。

母はまだ手術中。ICU(集中治療室)の前の廊下で、Mさん夫妻と一緒に手術が終わるのを待つ。

しばらくして、私は医師から呼ばれた。「説明室」と書かれた小さな部屋に入ると、先ほど電話をくださった医師がこれまでの状況を細かく説明してくれた。

15年前、母と一緒に見たCT画像に加え、今回はMRIの画像と、手術中の頭の中の写真まで見せられた。

医師の説明は次の通り。

・最初に町立病院で脳動脈瘤破裂と診断されたがそこでは対応できないため、そのまま救急車で移送されてきた。
・J大学病院に搬送されたとき、母の意識はハッキリしていて会話もしていたが、脳を刺激しないように薬で眠らせた。
・広く一般的に行われているクリッピング術という方法で脳動脈瘤をクリップで挟む処置をした。
・この状態になると、統計では5割~6割の人が亡くなっている。しかし逆に言えば4割~5割の人は助かっているということである。
・手術は特に問題なく終了し、これで1つ目の大きな”山”は超えたものの、脳動脈瘤が破裂した患者は、これから先2週間がヤマで、現時点で予断を許さない。
・数日後から約2週間の間にいろんな症状が出てきて、水頭症脳梗塞に発展したり、重度の障害が残ったり、最悪の場合は死に至ることもよくある。
・経過に応じて必要な手術をする。
・仮にそれらを全部乗り越えたとしても、何らかの後遺症が残る可能性が高い
・助かったとしても、社会復帰できる人は約3割といわれている。


ICU

それからMさんと一緒にICUに入ることを許された。

まだ麻酔から覚めていない母は、まるで植物人間にでもなってしまったかと思えるような顔をしていた。体じゅうから いろんな管が伸びている。

ほんの少し顔を見てすぐに退室。翌日また面会に来ることにして病院を出た。そこから実家まで1時間半。峠越えの長い道のりだ。途中、コンビニでオニギリを買って長男に食べさせた。気づけばもう夜中だったのでお風呂にも入らず寝かせた。

私は眠れない。とりあえず連絡すべきところには連絡し、子供たちが寝静まってから母の保険証を探し始めた。すると… 思ってもみない物が続々と出てくる。

税金の督促状
年金の前借りに関する書類
サラ金からの借り入れ明細

それから…残高わずか5千円の預金通帳

なんだこりゃ!?

NEXT→


親が病気になったとき
関連記事
Links
ページのトップへ戻る