モウコハン。

   

子宮破裂の危険性、3度目帝王切開の恐怖

ちゃんと産めるなら産みたい。可愛い我が子ですから。不妊も流産も経験した私にとって、一つの命が宿ったということは、とても嬉しいことです。

でもね… 検査薬で陽性反応が出て、イロイロ調べれば調べるほど、その喜びがどこかへふっ飛んでしまうくらいの恐怖に押し潰されそうでした。

もしこの子を産むとなると、今度は3度目の帝王切開になる。私の場合、次男を出産する手術の当日に陣痛が来てしまい、手術台に乗ったら「おしるし」がきて本当に危機一髪でした。 陣痛おしるしも、普通の妊婦さんにとっては単に「お産の始まり」。だけど、そのとき既に帝王切開を経験していた私の子宮にとっては、破裂寸前の非常に危険な状態だったということになります。

実際、お腹を切ってみたら子宮の壁が薄皮一枚のペラペラになっていて、次男の頭が透けて見えるほどだったそうです。もし子宮破裂を起こしたら、母子ともに命を落とす可能性が非常に高い。本当に怖いことです。

「もうちょっと遅かったら破裂してたね。もし3人目を産むんだったら、今度はよっぽど早めに出さなきゃ危ないよ」と医師からハッキリと宣告されていました。だから「もしその時が来たら、今度はすぐに輸血可能な大病院で!!」と、今まで思ってきました。

せっかく宿った大切な命。そして、今はまだ死ぬわけにはいかない私…。


  

中絶を考える

ある程度のリスクは承知しているけど、もしそのリスクがよほど高くなることが予想されて、きちんと救命態勢の整った病院にも受け入れてもらえないなどの場合によっては、中絶も覚悟していました。

不妊や流産を経験している自分が、まさか中絶を視野に入れる日が来るなんて思ってもみなかったことです。決して本意ではない。

でも、いま目の前で笑っている幼い我が子たちのことを最優先に考えなければいけないから、「中絶」の文字が頭に浮かぶことになってしまうのです。

妊娠後期になれば、できるだけ安静に過ごさなければいけなくなる。いざというときには駆けつけてくれる助っ人も必要。でも、我が家を取り巻く環境ではそれは絶対に無理だということは確実。それも怖い。もしこの子を産めるなら、今度は何かあった時にすぐ輸血できる態勢が整っていて、なおかつNICUのある総合病院であることが必須条件となります。

家から通える範囲の総合病院に問い合わせてみると、やはり当然のことながら、産科は激混み。「診察予約を入れていても5,6時間は待つことになる」 と…。しかもその間、一旦帰宅することは許されず、院内に居なければならないと。 予約のない初診ならもっと待たされるということになります。つまり、朝一番で病院へ行ったとしても、次男の降園時間までに戻れないということ。

次男は有料の延長保育を利用しても、やっと間に合うかどうか?もし間に合わないとしても、誰か代わりにお迎えをしてくれる人がいるワケじゃない。もし幼稚園を休ませたとしても、3歳児を連れて6時間も7時間も病院で待つなんて…。それだけで具合が悪くなってしまう。そのうえまだ低学年の長男の下校時間にも到底間に合いません。

…我が家にはとても難しい状況です。

こういった事情は、普通の家庭に生まれ育って普通に嫁ぎ、普通に頼れる実家・頼れる親族がいて、いざという時にもなんとかなる保険のようなものが確保されている環境の方には、どう説明しても、きっと理解されないでしょう。。。もちろん理、解していただく必要はありません。ただ、それがどれほど恵まれているか…それは決して「当たり前」ではないということ。ご実家の存在やご両親の愛に、ここで改めて感謝する機会にしてもらえたらよいと思います。

産婦人科難民

この近辺では人口は増加の一途を辿っているにもかかわらず産科の閉鎖が相次ぎ、数少ない産科に患者が集中してしまって大変な事態になっています。

たとえば、ある病院では既に7ヶ月後までの分娩予約を締め切っているのです。7ヶ月後といったら、今ようやく妊娠に気付いたかな?という時期の女性が出産に至る頃。

そう…一日も早く妊娠に気付いて、なおかつ一日も早く病院で妊娠判定をしてもらい、判定したらスグに予約金を支払って分娩予約をしておかないと、産む場所がなくなってしまうのです。安定期まで待つ余裕なんてありません。(※地域格差があります)

噂には聞いていたけれど…予想以上のものでした。

そんな産科医療の崩壊具合を実感すればするほど、安心して産める場所がないことの恐怖感に襲われます。 妊娠したくてもできない状況にいる人から見れば「なんて贅沢なんだ」と言われそうだけど、今回、また稽留流産していることが判明したことで、命懸けの出産なのに安心して産む場所がないことの恐怖感から少し解放されたもの事実。

でも、せっく授かった命がまた1つ消えてしまったかもしれないことへの悲しみは、前回とまったく同じです。

そして今回は、そういった様々な事情で素直に喜んであげられなった私のせいだと、自分を責めずにはいられない。そうじゃないのは頭ではわかっているけれど…。

稽留流産(子宮内胎児死亡)の記録
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